Dec 28, 2010
結婚式の会場は、結婚式のイメージ
結婚式場を決める時、夫婦になる二人のこだわりを持って訪ねて行きます。ファッションや化粧したり、希望を持っていきます。結婚式の章では、いくつかの計画を用意しています。訪れるのイメージを持つことができます。主役の二人だけではなく、参加される方にも満足して所があればよいでしょう。三女は男の年収だけで気にホンファルハヌンことが知られているが、結婚は生活です。お金の心配もなく安心して生活するには、贅沢ではなく安定した収入が不可欠です。愛より金かと叱られるかもしれないが、今の日本ではお金がなければ愛も冷めています。男性だけに動作することは考えて、私も働いているが婚活に同意します。
◇新潟・長岡に避難 南相馬・合唱団の中学生、呼びかけ
「みんな元気ですか。私は長岡市の中学に通うことになりました」。東京電力福島第1原発の事故で新潟県長岡市に避難している南相馬市の中学3年、石井佳奈さん(14)が各地に避難した仲間に向け、インターネットの無料動画サイト「ユーストリーム」で近況を報告した。同市のジュニア合唱団「MJCアンサンブル」で、8月の全国大会を目指していたさなかの被災。「またみんなで歌いたい」と、仲間との再会を願っている。
南相馬市原町区の自宅は原発から30キロ以内の「屋内退避圏」にあり、石井さんは母真由美さん(42)と2人で、飯舘村を経て、3月19日に長岡市に避難した。
避難所では、同級生も友達もいない。震災当日にわかれて以来、会っていない一番の親友のことが気掛かりだった。小学生のとき、いじめに遭っていた自分を「一緒に合唱やろう」と誘ってくれた。1週間後に、ようやく電話で連絡がついた親友から、仙台市の中学校に転校することを知らされた。震災前まで通った原町第一中には再び一緒に通うことができない。涙が止まらなかった。
山形や鹿児島などに避難したメンバーもいて、合唱団の仲間は離ればなれになった。「私はここにいるよって、みんなに伝えたい」。長岡市のNPO「ながおか生活情報交流ねっと」がメッセージのネット配信を呼びかけているのを知り、石井さんは手を挙げた。
「原発がなければ、みんなとバラバラになることもなかった。本当に悲しくてさみしい」。石井さんはカメラに向かって気持ちを吐き出す。南相馬に戻るめどは立たず、長岡市の中学校に転入する。それでも合唱は続けるつもりだ。「とにかく、みんなで歌いたい」。支え合ってきた仲間ともう一度、歌声を響かせる日を夢見ている。【岡田英】
4月12日朝刊
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佐藤雄平知事は11日午後、県災害対策本部が置かれている県自治会館で会見し、「東京電力と経産省原子力安全・保安院は『原発は何重にも安全対策がある』と言っていた。裏切られた思いで悔しい」と述べた。
佐藤知事は震災から1カ月を「地震、津波、原子力事故、風評被害の四重苦に見舞われた。県民が不安の中で毎日を過ごしているかと思うと言葉がない」と振り返った。
依然として、収束の見通しが立たない福島第1原発事故について「いくら山を越えても次々に新しい山が出てくる」と徒労感をにじませた。一方で「福島県民の粘りと辛抱で頑張っていきたい」と復興への意欲を語った。
東電の清水正孝社長が同日県庁を訪れたことについて所感を問われると、「謝罪に来たことは聞いていない」と不快感を示した。【種市房子】
4月12日朝刊
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◇富岡町・川内村、同居の役場が情報源??ビッグパレットふくしま
東京電力福島第1原子力発電所周辺の避難指示区域(半径20キロ以内)の住民を対象に、県は大規模避難所から旅館やホテルへの2次避難を促しているが、動かない人は多い。東日本大震災から1カ月たっても約2000人が避難生活を送る施設もある。自宅が壊れた人は少なく「許可が出れば、すぐ戻りたい」という原発被災特有の事情に加え、生活支援情報から取り残されることへの不安がある。
富岡町、川内村が臨時の役場機能を置く郡山市の複合施設「ビッグパレットふくしま」。富岡町民は地震翌日の12日夜、避難指示で隣の川内村に避難。その後、村も屋内退避区域となり16日にそろって郡山に移った。両町村の住民を中心に約2000人が避難生活を送っている。
避難者は硬い床に直接、毛布を敷いて眠る。現場の県職員によると、ほこりが多くてかぜを引く人が多いという。食事は毎回おにぎりとパンだ。
だが、富岡町の漁師、佐藤定秋さん(68)は腕組みして言う。「どこへ行っても避難所は避難所。町に帰れるまで動かない」。長男秋夫さん(43)は初めて持った自分の船を津波で流されたが、幸い自宅は無事だった。「帰宅許可が下りたら、すぐに戻って一からやり直す」と父とともに長期戦に挑む覚悟だ。
数年前に夫を亡くし1人暮らしだった川内村の井出延江さん(79)は「せっかく仲良くなった周りの人と離れるのは寂しい。個室は嫌。余震が怖い」。高血圧などの持病があるが、医療関係者も常駐している。
多くの避難者が求めるのは、住宅や生活支援などの情報だ。臨時役場があるだけにアナウンスや掲示板でいち早く知ることができる。富岡町の小林敏昭さん(42)は「ここから離れると、新しく決まる支援の申し込みに出遅れるのではないか。情報源に近い所にいたい」と漏らす。知人や親族を頼って遠隔地に避難していた人々が情報を求めてやって来るケースも多い。
大規模避難所が続くことに県は「気温が上がると衛生面で問題が出る」(松本友作副知事)と懸念を示す。ホテルや旅館の宿泊費は県費で負担するが、2次避難は「説得するしかないのが現状」(県災害対策本部)だ。【市川明代、種市房子】
4月12日朝刊
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