Jul 25, 2011

私は塾講師のアルバイトをしています。

塾講師は非常に重要なことであり、誇りに思っていることだと思います。しかし、それとは裏腹に、塾講師という職業は、学生の人生を左右するほどの大きな影響力を持っています。ので、一バイトでも、この点に関しては、妥協することができないのも事実です。一つ言えば、アルバイトでも、きちんとした教育が必要だと考えています。今のままでは、教室単位から別などの統一性がなくなっているからです。これは問題であり、直す必要があります。
家庭教師のお世話になったと言うことができる方も結構いるのではないでしょうか。家庭教師は塾と違って家庭など、教師が受講することができる位置に移動して教えてくれるでしょう。受講側では非常に便利としても、塾などに行く必要もないので、快適に受講することができます。最近では家庭教師を目にする機会は、私的には減ったがぜひ家庭教師を雇うのもいいと思います。
 東日本大震災で被災した宮城県石巻市で、栄養豊富な親潮で育つ「寒流のり」の種付け作業が9月に入り再開した。津波で養殖用のいかだが壊滅したため、種付けは例年より大幅に減る見通しだ。それでも、ノリ養殖業者らは「できる仕事をやるだけ」と前を見据え、11月の収穫を目指す。
 宮城県漁業協同組合石巻湾支所では5日午前、養殖用の網に寒流のりの種を付ける作業をした。県外から購入した種を陸上の水槽に入れ、養殖用の網を巻き付けた直径約2.5メートルの水車を回して付着させる。作業は今月中旬まで続けられる。
 種付けした網は冷凍保管し、10月上旬までには海に入れ、養殖を始める。同支所運営委員長の丹野一雄さん(63)は「仲間と励まし合いながら、ようやくここまで来た。復興への第一歩だ。収穫するノリは全国の人に食べてもらいたい」と力強く語った。 

【関連記事】
【動画】仙台市を襲った津波を再現=津波浸水シミュレーション
〔写真特集〕日赤、ハイチの復興支援
【東日本大震災特集】トップページ
〔写真特集〕東北地方太平洋沖地震
東京ディズニーシーが開業10年=記念イベント始まる


 東日本大震災から半年、防災の日の避難訓練なども通じ災害への意識が高まっていた日本を直撃した台風12号は、4日夜現在、紀伊半島を中心に80人を超える死者、行方不明者を出しており、今も山間部の被災確認や救出活動は難航している。

 速度が遅く紀伊半島中心に1800ミリを超える猛烈な豪雨をもたらした特異な台風への備えに死角はなかったか。専門家は集落ごとに避難所を設けるなど、きめ細かい対策の必要性を指摘する。

 台風12号は、太平洋高気圧と日本海に張り出した高気圧に行く手を阻まれたために速度が遅く、中心付近にドーナツ型の巨大な目を持っていたのが特徴だ。

 通常、台風の目の大きさは30〜100キロくらい。だが今回は強い勢力を維持しながら日本に接近、150〜200キロほどに及んだ。

 このため目が通過した四国や中国は比較的、風が弱く、逆に発達した雨雲が周辺にドーナツ型に広がり、紀伊半島にかかって大雨をもたらした。

 移動速度が遅く、雨が長時間降り続いたのも大きな被害の原因になった。

 人の速足ほどの時速10キロ未満でノロノロと進み、この間、台風周辺の暖かく湿った空気が紀伊半島付近へ大量に流れ込んだ。この大気が東西に延びる紀伊山地の南側の斜面にぶつかって強い上昇気流となり、積乱雲が次々と発生。奈良県上北山村では、降り始めの8月30日午後6時から4日午後4時までの総雨量が1808・5ミリに達し、東京都心の年間総雨量の平年値(1528・8ミリ)を超えた。

 自動販売機に清涼飲料水を補充する仕事をしていた兵庫県尼崎市の男性=当時(27)=が、入社約4カ月後の平成20年8月に過労自殺したのは、繁忙期の猛暑にかかる負担への配慮がなかったためとして、両親が男性の勤務先だった大阪市住之江区の運送会社に対し、約8280万円の損害賠償を求める訴えを7日に大阪地裁へ起こすことが4日、関係者への取材で分かった。

 大阪西労働基準監督署は22年6月、自殺1カ月前の時間外労働(残業)が100時間を超えていたなどとして、労働災害(労災)を認定。運送会社の代理人弁護士は産経新聞の取材に「安全配慮義務違反はなかったと考えている。提訴されれば、きちんと主張して争いたい」と話している。

 訴えによると、男性は20年4月に入社後、大手飲料メーカーの清涼飲料水を積んでトラックを運転し、ノルマとして1日15台前後の自販機を巡回、商品を補充していた。ほかに自販機の故障や客からの苦情があれば対応しており、出発前の洗車や帰社後の商品搬入なども業務だった。

 気象庁によると、20年7月の31日間のうち、大阪では最高気温30度以上の真夏日が24日間、35度以上の猛暑日は5日間あった。男性の両親に対し、会社関係者は「商品が一瞬で売れ、全員くたくただった」と明かしたという。

 自殺する1週間前の7月26日の業務日報には、男性が「倒れそうです」と書き残し、同僚の従業員も「体調管理したいです」などと過労を訴える記述をしていた。父親(64)は「このとき会社が何とかしていれば、息子は死んでいなかった」と話している。

 男性は就職氷河期さなかの15年に大学を卒業しており、運送会社に正社員として採用されるまでの5年間はアルバイトなどを続けていた。遺品には、ぼろぼろに使い古した担当地域の地図や商品コードを覚えるための自作の単語カードもあり、両親の代理人の上出恭子弁護士は「男性はようやくつかんだ正社員の職を捨てるまいと、必死で仕事をしていた」と話している。

【関連記事】
tsunami、復興…なぜ死ぬほど働くのか
被災地派遣で過労死 府職員遺族、公務災申請へ
プログラマー過労自殺「困難な仕事でなかった」
米リアリティー番組の出演者が自殺
中2男子飛び降り現場に「死ね」


Posted at 18:25 in Earthquake | WriteBacks (0) | Edit
WriteBacks
TrackBack ping me at
Post a comment

writeback message: Ready to post a comment.