Jun 02, 2009

二回も海外旅行保険のお世話になりました

通常の保険世話になることはあまりないですよね。まず、歩いて置くが、使ったことがないのに、ような感じが多いんじゃないでしょうか。も、私の場合、海外旅行保険は、いつもお世話にしました。また、二回も海外旅行保険のお世話になりました。病気や盗難です。海外旅行は何があるかわかりません。保険は絶対に入らなければなりません。
私は過去の私と家族会員制リゾートホテルに泊まったことができます。その会員制リゾートマンションは、海が見える絶景の場所に散らばっていました。このアパートはレストランやプールなどを備えており、アパートの部屋は広くて、ベッドに至っては、これまで使用していない布団が使用されていました。私は、布団の感触が気に入ってしまいました。しかし、会員制リゾートマンションは、管理者が破産したため、もうここでは使う機会がないので、私にとっては今も忘れられない思い出です。
 ◆13歳の年に甲府空襲を体験−−上田愛子さん(78)
 ◇この狭い橋の下に、家族ら11人 「熱いよ、熱いよ」。皆が叫んだ。
 ◇迫る炎、まるで生き地獄
 第二次世界大戦の終戦から66年がたった。戦時中、若い男性たちが戦地に赴いて戦う中、銃後を守った女性たちは何を体験し、どんな思いで戦後を生きたのか。記者は今、25歳。これまで、男性たちの体験に比べ、女性たちの話を見聞きする機会があまりなかった。戦争を生き抜いた女性たちは、記者にとって祖母の年代に当たる。彼女たちの手記や証言集を読み、話を聞いて歩いた。【山口香織】
 真っ赤に燃える甲府市街地。逃げ込んだ橋の下にも迫る炎。1945年7月6日夜から翌7日未明の甲府空襲での光景が、上田愛子さん(78)=甲府市=の脳裏を今も離れない。市域の約7割を焼き尽くし、死者1127人を出した甲府空襲。上田さんは一緒に避難した母、兄弟ら親族10人を一度に失った。
 上田さんは同市緑町(現若松町)で茶問屋を営む両親の下、5人兄弟の唯一の女の子として育った。空襲の年には13歳。甲府高等女学校に入学したばかりだったが、農家への勤労奉仕ばかりで、授業はほとんどなかった。同居していたのは、両親と甲府商業2年の三兄、相生国民学校4年の弟の5人。長兄は南方の前線へ出征、次兄も予科練に合格して家を出ていた。
 7月6日夜、上田さんは自宅で夢を見ていた。国民学校時代の同級生が会話の合間に、いつもの癖で「ふーん」と相づちを繰り返していた。その声が「ウー」という音と重なった。その瞬間、「起きろ!」。誰かが叫んだ。現実に戻され、跳び起きると、ウーウーと警報のサイレンが鳴り響いていた。
 慌てて普段着に着替え、非常用品が入ったかばんを背負い、家を飛び出した。父は家族に、南甲府駅方面の母の実家へ逃げるよう指示した。母の実家には、祖母と職業軍人だった伯父家族が住んでいた。父は警防団の役目があったため残った。
 母と兄弟とともに駆け出した。近くの木に焼夷(しょうい)弾が落ち、火の粉が花火のように散った。思わず「きれいだな」と感じた。
 たどり着いた母の実家の周囲には、火の気はなかった。家の中では、大人たちが忙しそうに荷物をまとめていた。午前2時を打つ時計の音が聞こえた時、「逃げろ」と誰かが叫んだ。
 玄関を開けると、火の粉が風にあおられ、辺り一面、火の海だった。市中心部に目を向けると、真っ赤。「あれじゃ、お父さんは生きていられないね」。母がつぶやいた。
 上田さんたちは、実家前を流れるどぶ川に下り、コンクリート製の橋の下に避難した。川幅は約2メートル、橋の幅は約2・5メートル。この狭い空間に、母、兄弟、祖母、伯父家族の計11人が入り、深さ20センチ程度の水中に寝転んだ。家が燃え始めた。橋の下にも煙が入り、体の上を炎が走る。何度も泥水を飲んだ。
 あまりの熱さに、頭を左右に振って、ぬれた髪の毛の水しぶきを顔にかけた。止めるとたちまち鼻の先が焼けた。水面から出ている足が熱い。水をかけようと左手を出すと、二の腕が焼けた。「熱いよ、熱いよ」。皆が叫んだ。
 生き地獄だった。炎や熱を避けようと、隣の母か祖母の着物の袖を引っ張って、顔にかけた。この行為が、上田さんを救うことになった。

8月14日朝刊

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 <日本は、もっといい国だ。>
 「富士山河口湖音楽祭2011」(同実行委主催、毎日新聞社など後援)は13日、富士河口湖町内で各種のコンサートが開かれた。
 午後2時から同町船津の「河口湖ステラシアター」で開かれた「ハーモニーコンサート」には県内の5合唱団が出演した。
 今年のコンサートテーマは「自然と環境をテーマにした合唱の集い」で、02年に町教委の援助で発足した「ふじ山麓児童合唱団」は唱歌メドレーで「われは海の子」など、笛吹市の「笛吹少年少女合唱団」は「ありがとう」、北杜市の明野少年少女合唱団は「赤とんぼ」などの曲で児童合唱を披露した。
 河口湖南中のPTA活動をきっかけに誕生し1回目の音楽祭から参加している「湖南コーラス」、県立吉田高校音楽部の演奏の後、5団体約130人が歌手のイルカさん作曲の“町うた”である「木の花の開く頃に」を全員で合唱した。【小田切敏雄】

8月14日朝刊

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